物の値段
2018年5月15日
インドに日本の超有名企業が進出する(正確には数年まえからずっと話があったのが、今回いよいよ実現するか?という事らしい)という事で、在印邦人の中でも話題になっている。
それは、日本に行かなくても手に入れられるかも!という消費者目線もあれば、インド進出のビジネスモデルとして観察したい、という目線もある。
小売業に対する厳しい外資規制の(徐々にではあるが)緩和という流れを受けて、ちらほら有名企業が進出が始まった、というので注目が高いのである。
そして観察者の一番注目するところは、どういった層をターゲットにするのか、という点である。
インドは貧富の差が激しく、しかも数としてはまだまだ貧しい人の方が圧倒的に多いので、どこに狙いをつけるか、というのは最重要ポイントなのである。
しかし、現状、戦略を練りすぎて空回りをしているかのように思える時がある。
例えていうなら、
ジミーチュウの靴を、「(他の国と同じ階層である)ターゲット層の平均可処分所得がこれこれなんで、安価モデルを作ってこの値段で売ります!」
とか、
そうかと思えば、「品質に定評がある日本製!!メイドインジャパン!!!の中野の都昆布だから高く売れます!!」(←お土産に頂いて手元にあったので例に使っただけです(;´Д`))
とか。
数字で表されるデータに頼りすぎで、「物を媒介として見る」という事がないのである。
なんでジミーチュウの靴に憧れるのか、というとデザインや機能がどうこういうより、まずは「ダイアナ妃とかセレブリティが履いていたから。」からである。
同じ靴を持つ、という事でロイヤルファミリーやセレブリティの世界と僅かでも繋がった気分になるのだ。
その気持ちの源は、リッチになりたい、優雅な生活がしたい、という願いである。
ハイブランドの化粧品が高くても売れるのは、(悪い意味ではなく、生物の本能からくる)異性へのアピールへの期待である。
なんて浅はかな、と思う人もいるかもしれないが、
なりたい状態の真似(擬態)をする、という事は古来の祈祷や呪術の中でもふんだんにみられる事であり、
(うろ覚えだが、祖父江孝男氏の著書でみた文化人類学入門(増補改訂版)|新書|中央公論新社)
一種の人間の習性なんだと思う。
そうやって、輝かしい自分を想像できるという事がパワーというかエネルギーなのであり、
その価値を、同じくエネルギーの媒介であるお金と交換という事で商談が成立するのである。
従って、どんなに高機能な商品でも「媒介」としての価値がない品物については、その物質のみに見合った値段をつけないと売れないだろう。
数字にばかり向き合ってないで、ちょっとは乙女ゴコロを勉強するのが、成功への近道なのである。