スリランカ旅行記 その7 キャンディ 仏歯寺
2017年12月31日 午前10時15分
シギリヤロックを堪能した後は、聖都キャンディに向かう。
シギリヤからの直通のバスは朝6時半の1本しかないので、ダンブッラを経由する。
ローカルのバスは慣れると(トゥクトゥク運転手を相手にするより遥かに)簡単で、
特にシギリヤのような田舎だと、道路から手を伸ばして「止まって欲しい。」というジェスチャーを示せばどこでもバスが止まってくれるから、
方向さえ間違えなければそれで良い。(シギリヤからダンブッラまでの運賃は、40スリランカルピー。約30円。)
ダンブッラに到着し、周りにキャンディ行のバスを尋ねると、ちょうど来たバスを指さしてくれたので、あわてて飛び乗ったが、
なんと、まさかの満席で、立って乗るはめになった。。(+o+)
約3時間半の長旅も、途中小休憩をはさみつつ、無事キャンディに到着。
キャンディは、狭い通路にたくさんのものがギュッと密集した小さな街だが、
シンハラ王朝最後の都として、また同時に、スリランカの仏教の聖地として非常に重要な街で、
街自体が世界遺産に登録されている。(なので、間違っても「ちょっと綺麗になったバラナシ」とか思ってはいけない(^^;))
キャンディ湖(人造湖である)の周りには、歴史あるホテルやデパートのみならず、ローカルの小さなお店までがたくさん立ち並び、たくさんの人で賑わっているが、
そこを通り過ぎながら歩いていけば、仏歯寺がある広場に出る。
仏歯寺とは、文字通り、仏陀の歯を祀っているお寺である。
それだけなら、ちょっと半信半疑なのだが、
キャンディに仏歯がもたらされた経緯(言い伝え)が面白い。
仏歯はもともと、仏陀の遺体が火葬された際インド各地に分散され、
その一つはカリンガ王国が所持していたのだが、
後年、カリンガ王国が戦いに敗れ滅亡の危機に陥り、王子と王女がスリランカに逃亡する際に、
王女の結った髪の毛の中に隠して持ってきた。
とか、
インドの王様が仏歯をもってやって来るのを知ったスリランカの王様が海岸まで迎えに行った帰り、
象にその仏歯(と容器)を乗せて都まで戻ったのがペラヘラ祭りの起源となった。
とか。。
いずれも、史実のようでもあり、物語のようでもある。
結局、仏歯はスリランカにもたらされてからは、1815年イギリスによってシンハラ朝が滅ぼされるまで王権の象徴となり、
三度の遷都と王朝の最後を(このキャンディで)見届ける事になった、という事だ。
さて、仏歯寺では1日に3回、プージャ(お祈りの儀式)を行っている。
プージャまでに時間があったが、二階の広間の隅には床に座って待てるスペースがあるので待つことにした。すべすべの木の床で、座っても心地よかった。
二階は仏歯が納められている場所に繋がっているので、大勢の人がお祈りを捧げているのが見える。
仏歯寺の内部は広くて、デコレーションも派手なので、日本人としては最初、戸惑うような感じもあったが、
独特の民族楽器の音でプージャが始まると、さすがは聖地、といった雰囲気だ。
プージャといっても容器だけで、仏歯を直接見れる訳ではないのだが、
笙や尺八や太鼓に似た音色の音楽、
格子の隙間から見える、オレンジ色の袈裟を着た僧侶が階下から列で上がってくる様子、
すべすべの床の感触、
背後の、たくさんの人が祈り、花を供えている光景、
は、必見、というか、その全ての雰囲気を、必体験! という感じであった。
…ところで、肝心の仏歯(の入った容器)だが、
なんか周りを花とかでめっちゃ飾られた金色の物、といったぐらいにしかよく分からなかった(^^;)
1秒か2秒くらいしか立ち止まってないしさ(^^;)
大晦日の夜、歩いて宿に帰る。
この宿は、駅に近い、という事だけで決めたのだが、
静かだし、(ソーラーシステム使用という)シャワーも熱湯が長時間出て、
見かけやコストに比べて良い宿だった。
オーナーのおっちゃんは、おしゃべり好きで陽気な人である。
その陽気な人が業務の為、年越しも独りなのか、、と思い、
「さすがに今日は疲れたので、今から休息をとるけど、
年が明ける前に起きるから、一緒に年越ししよう。」
と約束し、
その後、眠い目をこすりながら23時半ぐらいに起きてロビーに出てみると、
おっちゃんは既に眠りについたのか、いなかった。。(-.-)
ロビー窓から花火が見えたので少しだけ鑑賞し、部屋にもどった。
そして、夜が(年が)明けた。